常に高次元のことを思い出した状態で日常生活を送っているか、どの程度のことに気づいて生きているか、そこに違いがあるのである。自分が何をしているか、何を創り出しているのか自覚のない者は地獄でのたうち回っている。もう飽きたとなるまでそこに居られるほど宇宙には自由と包容力がある。低次の楽しみでも奪うことはないらしい。好きなように自分を創り出し、経験することが進化のベースになっているのだろう。

無知無明で愚かな者は賢さをねたみ、自分はそこには行けないと決めつけ、場合によっては滅ぼそうとさえする。賢明なる者は無知無明の愚かな行為からさらに賢くなることを学ぶのである。それ故に、賢者は愚者を大事にする。馬鹿を見て嘲笑ったり怒ったりしていては目くそ鼻くそである。相手に己の在り方を見つけたりまたそうだと決めつけたりして嘲り笑うのは自分を笑っているのである。私が馬鹿の馬鹿さ加減を正確に描写するのは、馬鹿にするためではない。

無自覚に他者を呪うなどする、愚昧と暗渠の集積物のような馬鹿者を見つけたことに運の好さを覚える。ますます解き明かしたい宇宙の謎が明晰になっていく。絶好のテクストであり、叡智の宝庫である。宇宙の真理はあまねく、馬鹿によっても担われ表現されているものだ。そんなわけで、馬鹿は馬鹿のままに永久保存しておきたいのであるが、彼らの日々の経験や私の影響などで、残念なことに進化してしまう。